オススメ本|重松清『とんび』を読んでほしい理由|不器用な父と息子が教えてくれる、家族の温かさ

オススメ本

親と最後にゆっくり話したのは、いつだっただろう。

重松清さんの『とんび』を読んでいると、そんなことを考えました。

普段、家族のことをずっと考えて生活しているわけではありません。

むしろ、近くにいるからこそ後回しにしてしまうことのほうが多い気がします。

「また今度話せばいいか」

「別に今言わなくてもいいか」

そうやって過ごしているうちに、時間は普通に流れていきます。

『とんび』は、そんな何でもない時間の大切さを思い出させてくれる小説でした。

とにかく不器用な父親、ヤス

主人公のヤスは、一人息子のアキラを育てる父親です。

ただ、このヤス。

正直なところ、かなり不器用です。

口は悪いし、意地っ張りだし、怒ると感情的になる。

読んでいて、

「いや、それは普通に言えばいいじゃん」

と思う場面もあります。

たぶん現実に身近にいたら、少し面倒くさい人かもしれません。

でも、嫌いになれないんです。

むしろ読み進めていくうちに、

「ああ、この人、本当にアキラのことが大事なんだな」

というのが痛いほど伝わってきます。

妻を亡くし、一人息子を育てることになったヤス。

当然、子育ての正解なんて分かりません。

父親として立派に振る舞えるわけでもありません。

間違えるし、空回りもする。

それでも自分なりに必死に息子と向き合っていく。

私は、その姿がすごく好きでした。

完璧な父親ではない。

それでも、息子を大切にしたいという気持ちだけは本物。

その不器用さが、妙に人間らしいんです。

家族だからこそ、素直になれない

『とんび』を読んでいて一番感じたのは、家族の愛情って意外と分かりづらいものだということでした。

本当に大切なら、優しくすればいい。

心配なら、心配だと言えばいい。

寂しいなら、寂しいと言えばいい。

言葉にすると簡単です。

でも実際は、そんなにうまくいかない。

家族だからこそ照れくさい。

近すぎるからこそ、余計なことを言う。

本当は心配しているのに、怒ったような言い方になってしまう。

思い返してみると、そういうことって結構ある気がします。

他人には普通に言える「ありがとう」も、家族にはなぜか言いづらかったりします。

ヤスとアキラの関係にも、そんな不器用さがあります。

でも私は、そこがこの作品の一番好きなところかもしれません。

きれいすぎないんです。

理想の家族を描いているわけでもない。

喧嘩もするし、すれ違う。

それでも根っこのところでは、お互いを大切に思っている。

たぶん家族って、そういうものなんじゃないかなと思いました。

ヤスは一人でアキラを育てたわけじゃない

『とんび』は父と息子の物語ですが、二人だけの物語ではありません。

ヤスとアキラの周りには、たくさんの人がいます。

近所の人や友人、仕事仲間。

ちょっと口うるさかったり、余計なお世話を焼いたり。

今だったら、

「そこまで他人の家庭に入ってくる?」

と思うような距離感かもしれません。

でも、それがすごく温かい。

ヤスは一人でアキラを育てているようで、実際には周りの人に何度も助けられています。

アキラも、父親だけではなく、たくさんの人に見守られながら成長していきます。

この部分を読んでいて、人間って本当はこんなふうに誰かに支えられて生きているのかもしれないと思いました。

私自身、人との距離が近すぎると疲れることがあります。

一人でいるほうが気楽だと思うこともあります。

それでも『とんび』を読んでいると、

「誰かに気にかけてもらうのも、悪くないな」

と思えるんです。

一人で生きる自由もいい。

でも、困ったときに誰かがいてくれる安心感もやっぱりいい。

そんな当たり前のことを、少し思い出しました。

「泣ける本」だけでは終わってほしくない

『とんび』は、よく「泣ける小説」と紹介されています。

確かに、泣けます。

ホリエモンさんが獄中で号泣したことでも有名です。

私も胸が詰まる場面が何度もありました。

ただ、「感動して泣ける本です」とだけ紹介するのは、少し違う気がします。

この作品で心を動かされるのは、何か一つの大事件があるからではありません。

それまでの普通の日々を読んできたからなんです。

一緒にご飯を食べる。

くだらないことで笑う。

喧嘩する。

仕事をする。

誰かが成長する。

少しずつ離れていく。

その一つ一つは、特別な出来事ではありません。

でも、後から振り返ると、その普通の日々が一番大切だったりします。

これは小説の中だけの話ではないと思います。

家族と食べた夕飯とか。

何でもない会話とか。

「おかえり」と言われたこととか。

そのときは何とも思わなかったことが、何年か後になると急に懐かしくなったりする。

『とんび』を読んでいると、人生ってそういうものなのかもしれないと思います。

私が『とんび』を読んでほしい理由

私がこの本を読んでほしい理由は、感動するからでも、泣けるからでもありません。

もちろん、それも魅力です。

でも一番は、

読み終わったあと、自分の大切な人のことを少し考えたくなるからです。

本を一冊読んだからといって、人生が劇的に変わることなんて、そう多くないと思います。

家族との関係が突然良くなるわけでもありません。

でも、

「最近、親と話してないな」

「たまには一緒にご飯でも食べようかな」

そんなことを少し思うかもしれません。

私は、それだけでも十分だと思っています。

大げさなことをしなくてもいい。

「ありがとう」と言えなくてもいい。

ただ、相手のことを少し思い出す。

その時間が生まれるだけでも、この本を読んだ意味はあると思います。

たぶん、何年か後にもう一度読みたくなる

『とんび』は、読む年齢によって感じ方が変わる本だと思います。

若いときに読めば、アキラの側に気持ちが寄るかもしれません。

親から離れたい。

自分の人生を歩きたい。

自分のことは自分で決めたい。

それもすごく分かります。

でも年齢を重ねると、少しずつヤスの気持ちも見えてくる。

子どもの成長はうれしい。

でも、離れていくのは寂しい。

幸せになってほしい。

でも、できれば近くにいてほしい。

人の気持ちは、そんなに単純じゃありません。

だからこの本は、一度読んで終わる小説ではない気がしています。

今読んだ『とんび』と、10年後に読む『とんび』は、たぶん違う。

同じ文章なのに、自分が変われば見えるものも変わる。

そういう本に出会えることって、実はかなり幸せなことだと思います。

読み終わったあと、誰の顔が浮かぶだろう

『とんび』に出てくる人たちは、決して完璧ではありません。

怒ります。

間違えます。

意地を張ります。

余計なことも言います。

でも、それでも誰かを思っています。

私は、この作品を読みながら何度も、

「人を大切にするって、別に上手にできなくてもいいのかもしれないな」

と思いました。

言葉にできなくても。

少し不器用でも。

心のどこかで相手の幸せを願っている。

それも一つの愛情なのだと思います。

もし最近、家族とあまり話していないなら。

大切な人に素直になれていないなら。

あるいは少し、人とのつながりに疲れているなら。

一度、重松清さんの『とんび』を読んでみてください。

読み終わったあと、たぶん誰か一人くらい、頭に浮かぶ人がいると思います。

その人に何か特別なことをする必要はありません。

少し話してみる。

一緒にご飯を食べる。

「元気?」と連絡してみる。

それくらいでいい。

私は『とんび』を読んで、人を大切にするって、案外そういう小さなことの積み重ねなのかもしれないと思いました。

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